「ベルゲン=ベルゼンの日記 1944-45」 アミラ・ハスが問う母の沈黙
6月初めオバマ米大統領はサウジアラビア、エジプトを訪問し、カイロではアラブ=イスラム世界の信頼修復にむけた名演説を行ないました。その足で彼はドイツに向かい、第2次世界大戦中に5万6千人が殺害されたブーヘンバルト(ブッヒェンバルト)強制収容所の跡を訪れました。もちろんイスラエル側にも配慮し、バランスを取るためのパフォーマンスです。大戦末期に彼の大叔父が同収容所の解放にかかわり、そこで目撃した凄惨な状況にショックを受けて、米国帰還後もその記憶に悩まされたことを語り、現代における反ユダヤ主義の再燃に対する警戒ともとれる発言をしました。
たいへんな気の遣いようですが、米国大統領がここまでしなければならないのは、ナチによる「劣等人種」抹殺の歴史を「ホロコースト」と呼んで迫害の記憶を独占し、イスラエルによるパレスチナ住民迫害の口実に利用することが強固なシステムとして成り立っているからです。しかし、そのようなナラティブは収容所に入れられたユダヤ人の総意ではありません。自分たちの体験をいいように利用されることに、居心地わるく感じているホロコーストの生き残りも多数存在します。ハンナ・レヴィ=ハスもその1人でした。
イスラエルの優良紙『ハアレツ』のコラムニストで、占領下のパレスチナに住み、パレスチナ住民がイスラエルから受ける迫害を伝え続けている数少ないユダヤ人記者アミラ・ハスは、両親ともにホロコーストの生存者です。母のハンナ・レヴィ=ハスは、北部ドイツのベルゲン=ベルゼン強制収容所に収容されていた当時、禁を犯して日記をつけるほど文章表現に長けた人でした。しかし収容所から解放され、イスラエルに移住した後は書かなくなってしまいます。ホロコースト後の世界に絶望したのだと娘のアミラは言います。
ハンナはユダヤ人の祖国建設運動であるシオニズムを信奉せず、むしろ祖国を失ったまま世界各地に離散して「よそ者」として生きる伝統的なユダヤ人の生き方(ディアスポラ)を信じていました。しかしヨーロッパの離散ユダヤ人の社会は壊滅し、やむなくイスラエルに移住した彼女は、ユダヤ人が現地の住民を迫害するのを目撃し続けることになります。その姿を見て育ったアミラは、『ベルゲン=ベルゼンの日記 1944-45』を出版し、母の沈黙の理由をあらためて見つめなおします。(中野)
*アミラ・ハス(Amira Hass) パレスチナ占領地の迫害の実態をあばくイスラエル人ジャーナリスト。母親ハンナ・レヴィ=ハスがナチの強制収容所でつづっていた日記 Diary of Bergen-Belsen, 1944-1945(『ベルゲン=ベルゼンの日記 1944-45』)を編集し2009年6月にHaymarket Booksから刊行した。
字幕翻訳:堀切麻里江/校正・全体監修:中野真紀子