"リベラル派のライオン"テッド・ケネディ上院議員の46年
米マサチューセッツ州選出の民主党上院議員エドワード(テッド)・ケネディが2009年8月25日夜、脳腫瘍との闘病の末に77歳で亡くなりました。46年におよぶ上院議員生活においてテッド・ケネディは揺るぎないリベラル主義政策を追求し、"リベラル派のライオン"と呼ばれた民主党の重鎮でした。
2008年の大統領予備選で、民主党指名候補の座をかけてヒラリー・クリントンとバラク・オバマが死闘を繰り広げる中、いちはやくオバマ支持を打ち出して、選挙の流れを変えたといわれます。また2002年には上院でイラク攻撃の承認決議に反対票を投じ、上院議員として自分が投じた最良の一票だったと後に語っています。60年代に米国の政界に君臨したケネディ家の兄弟のうち生き残った最後の1人、テッドの生涯をふりかえります。
親しかった兄のロバート・ケネディが志しなかばで凶弾に倒れた後、一度は大統領選挙に打って出たテッドですが、スキャンダルにまみれて挫折し、結局大統領のキャリアは断念することになります。日本で彼についてよく知られているのはここまでです。
でも、その後の上院議員としての息の長い政治活動で、公民権運動への支持、低所得労働者のための政策の推進、公的医療保険制度の導入に向けた努力など大きな足跡を残しました。早世した兄たちにはで叶わなかった政治家としての老成を遂げ、兄たちの誰よりも大きな影響を米国社会に与えたと、エドワード・ケネディの伝記を記したアダム・クライマー記者は評します。
彼が推したオバマ大統領は遂に医療保険制度改革を成し遂げましたが、テッド・ケネディが悲願としてきた公的医療保険はついに法案に盛り込まれることはありませんでした。テッドが1962年以来まもり通してきたマサチューセッツ州上院の民主党議席は、彼の死後の選挙で共和党のスコット・ブラウンに奪われ、民主党の牙城の崩壊で一つの時代の終りを印象づけました。 (中野)
*アダム・クライマー(Adam Clymer) 元ニューヨーク・タイムズ紙記者。エドワード・ケネディの伝記Edward M. Kennedy: A Biographyを書いた
*エドワード・M・ケネディ(Edward M. Kennedy) 1968年に暗殺された兄ロバート・F・ケネディへの弔辞の録画。
字幕翻訳:内藤素子/校正:関房江
全体監修:中野真紀子・高田絵里