ジェニン自由劇場のジュリアノ・メル=ハミスの殺害

2011/4/5(Tue)
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映画『アルナの子供たち』をご覧になったことがありますか?アルナ・メル=ハミスというユダヤ系イスラエル人でパレスチナ人と結婚した女性が、インティファーダ(民衆蜂起)の勃発で暴力が日常化した占領下のパレスチナ西岸地区の町ジェニンに住み、芸術とは無縁の難民キャンプの子供たちに絵画やダンスなどを教え、暴力ではなく創造的な自己表現を通じて占領に抵抗していくことを教えようとしました。アルナは1993年にライトライブリフッド賞を受賞し、その賞金でジェニンに子ども劇場を作り、95年に亡くなるまで子供たちのために尽くしました。この劇場を手伝った息子のジュリアノは、2000年に再燃したインティファーダのさなかにジェニンに戻り、アルナの教えを受けた子供たちの多くが抵抗運動の戦士として散っていったことを知ります。暗澹とする結末ですが、ジュリアノは映画の終わりに、子ども劇場の再建をめざすことを誓っていました。

そのジュリアノが2011年4月4日、覆面の襲撃者によって射殺されました。彼が再興した「ジェニン自由劇場」から出てきたところを待ち受けていたのです。襲撃者はパレスチナ側の急進派といわれています。「次のインティファーダは文化による蜂起でなければいけない」と言い、表現活動による非暴力の抵抗運動を占領地で推進する中心的な存在が、こんな形で葬られたことには、ゲストのナビールのように言葉にできない無念さでいっぱいになります。救いがあるとすれば、ニューヨークでジュリアノの演劇学校を支援してきたディンキー・ロミリ―のように、ジェニン自由劇場の火は絶やさないと言明し、彼の遺志を引き継ぐ決意の人たちが確実に存在することでしょう。(中野真紀子)

*ナビール・ラエー(Nabeel Raee,)ジェニン自由劇場の演劇学校長。ジュリアノ・メル・ハミスと長年一緒に働いてきた
*コンスタンシア・"ディンキー"・ロムニー (Constancia "Dinky" Romilly) ニューヨーク市にあるジェニン自由劇場支援団体「ジェニン自由劇場の友」(Friends of the Jenin Freedom Theatre)の事務局長。ジェニンでの公演プログラムにも深くかかわっている。

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字幕翻訳:桜井まり子 校正・全体監修:中野真紀子 サイト作成:中森圭二郎