「バーレーン:闇の中で叫ぶ声」の監督 弾圧下での困難な取材を語る
チュニジアにはじまりアラブ各国に波及したアラブの春運動。エジプトでの反政府運動が最高潮の盛り上がりを見せた2011年2月半ば頃、ペルシャ湾に浮かぶ島国の小国バーレーンでも民主化運動が繰り広げられていました。しかし世界的には、バーレーンの民衆蜂起が注目されることはありませんでした。一つはイスラム教スンニ派のアラブ各国が、バーレーン王室擁護に回り、米国もサウジ王室に遠慮して口を出さなかったため。もう一つは、政府が外国メディアを追い出しにかかり、言論統制を徹底したためだと、アルジャジーラ・イングリッシュのメイ・イン・ウェルシュ記者は語ります。ウェルシュ記者は蜂起の期間、外国人記者として唯一通して現地取材をつづけ、その記録をドキュメンタリー「バーレーン:闇の中で叫ぶ声」(" Bahrain: Shouting in the Dark")としてまとめました。
バーレーンでは国民の大半がシーア派ですが、権力を握るのは少数派スンニ派の王族ハリーファ一族です。一族と取り巻きが富と権力を独占し、シーア派の国民はあらゆる場面で差別され、貧困から抜け出せずにいる。そんな不平等な状況がつづく中、エジプト革命に触発され、バーレーンでも民主化を求める運動が起こりました。
反体制派の群集が集った真珠広場では、はじめて言論の自由を体験し最高の気分だった、とデモ参加者は語ります。しかし広場占拠からわずか2日後、政府は警察隊を投入して武力でデモ隊を追い出しにかかりました。その後の政府の弾圧は激しいものでした。フェースブックにデモ参加者の顔写真を掲載し個人名の割り出しにかかっただけでなく、反体制派とみなした者を次々と逮捕。その範囲は非常に広く、人権活動家、野党議員、ジャーナリストのみならず、医療関係者まで標的にされました。「治療も援助のうちと見なされたのです」とウェルシュ記者は言います。逮捕者の多くは拷問を受け、結果殺害された人もいました。
蜂起より1年が過ぎた2012年4月、バーレーンでF1グランプリが開催されることになり、政府はこれを国民団結の象徴と喧伝しました。しかしその一方で、逮捕された著名な人権活動家アブドゥハディ・アルクワジャさんは、終身刑の判決に抗議して2ヶ月以上ハンガーストライキを行っており、瀕死の状態と言われています。そのことからF1レースの中止と、アルクワジャさん解放を求める声も上がりましたが、バーレーン政府からは無視されています。
それでも一番弾圧が酷かった頃からすると、状況はましになっているとウェルシュ記者は語ります。「撮影を行った去年の4月、人々が抗議の意を示せるのは夜の屋上だけでした。それが誰からも顔を見られない唯一の場所だった」と。「人々は闇に向かい叫ぶしかなかった」のだと。
*「バーレーン:闇の中で叫ぶ声」(" Bahrain: Shouting in the Dark")本編はYouTubeにて視聴できます。
http://www.aljazeera.com/programmes/2011/08/201184144547798162.html (外部サイト・英語)
*メイ・イン・ウェルシュ(May Ying Welsh):ジャーナリスト。アルジャジーラ英語放送のテレビ・ドキュメンタリーBahrain: Shouting in the Dark(『バーレーン 闇の中で叫ぶ声』)を制作、各賞を取った
字幕翻訳:natsu /校正・サイト構成 桜井まり子