オキュパイ運動の先駆け スペインのM15運動,占拠運動

2012/7/5(Thu)
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13分

2011年、世界中の広場や街頭を人々が埋め尽くし、不平等や民主主義を叫びました。ウォール街占拠運動の先駆けとなったと言われるのが、マドリッドのプエルタ・デル・ソル広場から始まったM15(5月15日)運動です。これが9月17日のニューヨークのズコッティ広場へ、10月15日の世界規模の街頭デモにつながりました。M15運動の記録に取り組むスペインの映像作家ステファン・グルエソに聞きました。

5月15日にプエルタ・デル・ソル広場に集まろうという呼びかけは5月22日の統一地方選挙がきっかけだと言われます。ドント方式の比例代表制を取るスペインでは、二大政党である国民党と社会労働党のどちらかにころぶしかありません。国民を代表しない選挙を拒否し、既存の政党に希望を失った人々は広場に集まって意思を表明するしかありませんでした。既成団体に召集されたものではなかったため、デモ行進をして最終地点で解散という従来のパターンが打ち破られました。広場の占拠が始まったのです。ソーシャルメディアでたちまち広がり、スペイン全土で止められない動きになっていきました。

M15運動が大きな役割を果たしたと言われるのが、スペインの大手銀行バンキア元会長で元IMF専務理事ロドリゴ・ラトの訴追です。ラトは、1996年から8年間続いたアスナール政権でも財務相として規制緩和や民営化を推し進め、スペインのEU加盟を果たしました。 EU加盟によってスペインでは空前の不動産ブームが起きますが、バブルがはじけた後、バンキアは多額の不良債権を抱え約45億ユーロの救済を受けて破綻しました。ラトら経営陣は2012年7月に詐欺を含む不正行為で起訴 されています

新自由主義政策のツケを払わされるのは国民なのに、民主主義制度はすっかり形骸化している。憤懣やるかたない人々は街頭へ、広場へと向かいました(桜井)

*ステファン・グルエソ(Stéphane Grueso):スペインのM15運動を記録する活動を続ける映像作家

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字幕翻訳:西内佐知子/校正:斉木裕明/全体監修:中野真紀子/Web作成:桜井まり子