ブラックパンサー党の日系人幹部リチャード・アオキはFBIの情報屋だったのか?
リチャード・アオキは日系アメリカ人でありながらブラックパンサー党の初代メンバー。パンサーの武装化を手助けした人物として伝説的な存在です。また1969年にはアジア系アメリカ人の活動家としてカリフォルニア州立大学バークレー校でストライキを指導しアジア系アフリカ人研究学部の設立に大きな貢献をしました。その彼がFBIの情報屋だったという疑惑が浮上し、アオキを高く評価する人々を驚愕させました。
キング師などに代表される非暴力の公民権運動の影で語られることは少ないのですが、ブラックパンサーは20世紀のブラックヒストリーにおいて重要な意義をもっています。サンフランシスコのお膝元、マイノリティーが大半を占める郊外のオークランドでブラックパンサー党が誕生したのは、1966年。創設者は、同地のメリット大学の学生だったボビー・シールとヒューイ・ニュートンの2人でした。
ブラック・パンサー党は、人種偏見と警察の暴力に反発した都市の黒人の若者たちが、黒人としての自分に自信と誇りをもち、より公正な社会に向けて地域社会の問題に実践的に取組ながら自らを解放していこうとする画期的な試みでした。黒のベレーにレザージャケット、ブラックパンサーのマークというクールなファッションを自己主張のためにシンボルとして使い、南部の公民権運動とは違って「神」の加護にまったく頼らないところも現代的でした。
当時は、アジアやアフリカの諸国が植民地支配を脱し独立に向けて闘っていた時代です。スラムの若者の間から生まれた運動であったにも関わらず、ブラックパンサー党はアジアやアフリカの反植民地民族運動と共闘して世界を変えていこうとする開けた視点も備えていました。パンサーの武装は有名ですが、黒人に対する警察の暴力からコミュニティを守るパトロールに際し、自己防衛のために始めたものです。
やがてFBIや治安警察による徹底的な弾圧の対象になっていくパンサー党にとって武装は実際に使う以上に身を守るための武器をもっていることを誇示することに大きな意味がありました。自衛のための武装は許可されるという米国憲法の条項を根拠に、ライフルを携行したのです。
メリット大学での学生時代、政治討論クラブを通してパンサー党の創設者2人と知り合いになったアオキは、銃のコレクターでした。ニュートンの頼みに応えて結成されたばかりのパンサー党に銃を提供し、パンサーの新入りたちに銃の扱いを訓練したと言われています。ものごころつくまでは地元オークランドの不良少年だったと自ら語っていたアオキ。本当に、組織をFBIに売る情報屋だったのでしょうか?
アオキは、幼い頃に家族と共に日系人収容所に送られた経験のもちぬしでもありました。FBIが目をつけた左翼的な政治団体に情報屋として潜行したものの次第に政治意識にめざめ、民衆の側に立つ正義に向けてひと一倍の貢献をするにいたったのでしょうか?それとも、情報屋だなんてまったくのぬれぎぬ?2009年、しばらく前から健康を害していたリチャード・アオキは自らの手で命を絶ちました。アオキはFBIの情報屋だったと告発したジャーナリストのセス・ローゼンバークとアオキの研究者で伝記も執筆したカリフォルニア州立大アジア系アメリカ人研究学教授のダイアン・フジノが2つのアオキ像を語ります(大竹秀子)
*アン・ライト(Col. Ann Wright [Ret.]): 2011年4月にニューヨーク州シラキューズ市のハンコックフィールド米空軍州兵基地での無人機MQ-9 Reaper の使用に対して抗議行動を行った「ハンコックの無人機に反対する38人」の一人。米軍に29年間勤務大佐で退役。のち16年間、国務省の高官も務めた。2003年にイラク戦争に抗議して国務省を退官した。
*セス・ローゼンフェルド(Seth Rosenfeld):サンフランシスコクロニクル紙記者などを経て現在はフリーランスのジャーナリスト。最新著は Subversives: The FBI’s War on Student Radicals,and Reagan’s Rise to Power. (『破壊分子たち―FBIの対急進派学生作戦とレーガンの政治的台頭』)。
*ダイアン。フジノ(Diane Fujino): カリフォルニア州立大アジア系アメリカ人研究学部長・教授。最新著はSamurai Among Panthers: Richard Aoki on Race, Resistance, and a Paradoxical Life.(『パンサー党のサムライ―リチャード・アオキにおける人種と抵抗、そして逆説的な生涯』)
字幕翻訳:玉川千絵子 校正:大竹秀子