フリーダム・ライダーズ 人種隔離バスへの抵抗

2010/2/1(Mon)
Video No.: 
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45分

公民権運動の歴史には、秘められた宝物がいっぱい埋まっているようです。今からちょうど50年前、公共交通機関の人種差別を撤廃させた非暴力不服従運動「フリーダム・ライド(自由のための乗車運動)」もその一つです。

南部では人種隔離法によって、学校もレストランもトイレや乗合バスの座席も、はては救急車までもが白人用と非白人用に分けられていました。これに抗議するボイコットや座り込みが広がり、連邦最高裁判所は1960年末に、南部の人種隔離法は憲法違反であるとする判決を出しました。でも南部はこれに従わず、連邦政府も強制措置はとらず、差別の実態はなにも変わりませんでした。

その半年後、10人あまりの黒人と白人のグループが南部行きの長距離バスに一緒に乗り込み、人種による座席の区別を公然と破ってみせました。彼らは自分たちを「フリーダム・ライダーズ」と呼び、身の危険を賭して連邦政府の姿勢をただしたのです。白人至上主義者から暴行されたり、地元警察に逮捕されたりで、先発グループが途中放棄を余儀なくされると、次のグループが出発しました。暴力にひるむどころか、次々に志願者が現われ、全米から集まった400人以上のライダー達でミシシッピの刑務所が一杯になったと言います。こうした命がけの非暴力抵抗運動の結果、ついにバス停や駅から人種隔離の標識が撤廃されました。

この運動の歴史を描いたドキュメンタリー映画「フリーダム・ライダーズ」の初公開に合わせて、当時ナッシュビルの学生として運動に参加した二人の活動家から話を聞きます。数回にわたるライドの経緯、この運動を組織した学生非暴力調整委員会(SNCC)とダイアン・ナッシュ、ケネディ大統領や弟の司法長官の対応、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のかかわり方など、興味深い史実を交えながら、非暴力の抵抗運動の真髄が語られます。

非暴力不服従は、無抵抗主義ではありません。決して融和的でも遵法主義でもなく、あえて法を破ることも辞さない対決姿勢です。この戦術を貫くことがいかに効果的であるかがよく伝わる、感動の物語です。(中野)

★ ニュースレター第33号(2010.10.10)
★ DVD 2010年度 第1巻 「公民権運動」に収録

*スタンリー・ネルソン(Stanley Nelson) 映画作家。映画 The Freedom Riders.の監督。他の作品には、The Murder of Emmett Till and Wounded Knee.などがある。

*ベルナール・ラフィエ(Bernard Lafayette)

エモリー大学の宗教・紛争・平和構築教授。1961年ナッシュビル=ニューオーリンズ間のフリーダムライドに参加した。 

*ジム・ツワーグ(Jim Zwerg) 1961年ナッシュビル=ニューオーリンズのフリーダムライドに参加。アラバマ州モンゴメリーで群衆に襲われて重傷を負った。

Credits: 

字幕翻訳:川上奈緒子・阿野貴史/校正:大竹秀子
全体監修:中野真紀子・付天斉